ぶらりまちかど美術館・博物館が開催されました。

ニュース 平成30年9月26日

平成30年9月23日(日)ぶらりまちかど美術館・博物館が開催されました。

晴天に恵まれました

今回のテーマは

「塚本さとと下田歌子」

塚本 さとが近江商人の妻として母として目指した女子教育

淡海女子実務学校開校への祝辞

一巻の巻物にまとめられている。

当時の学識有力者の名前が次々と現れる。
杉浦 重剛 荒木 寅三郎 佐藤 昌介 徳富 蘇峰 釈宗演
なかでも北海道大学二代目総長佐藤 昌介 さとの息子源三郎とも懇意のようで正装の佐藤 昌介夫妻と源三郎家の写真が残っている。国民新聞の徳富 蘇峰はさとが亡くなったとき一文を残しており、先駆的なさとの取り組みを高く評価していたようである。さとが源三郎の嫁の為に書いた姑の餞別3000首におよぶさとが詠んだ和歌を集めた月の影を一読したとある。

この前に関東大震災が起こり、塚本家の東京店が焼失し、窮地に陥り、塚本 さとは学校経営を一度は断念せざるを得ない状況になり、顧問の下田 歌子に状況を報告したところ、下田 歌子が救いの手を差し伸べた。
多忙な筈の下田 歌子が添削した資料は膨大で学校改革は迅速で的確なものであった。

塚本 さとは晩学の人で40代半ばで和歌を始め、兄の定次が読んでいたいた福沢諭吉の西洋事情等を読み影響を受けたとされる。
手が器用で屏風を自作し、彦根行在所に献上した。

さとの掛け軸ものこっていた。

女性らしい繊細なタッチで描かれていて、とても美しい字だと思う。
さとの辞世の句は徳富 蘇峰が大往生だと誉めたすがすがしいものである。
「なにひとつ 思ひおくこと なかりけり わが行き先は 弥陀にまかせて」
というものである。

ご来館の皆様誠にありがとうございました。
おかげさまで大盛況に終わりました。
また、よろしくお願い申し上げます。