初代塚本定右衛門(久蔵)、甲府柳町に小間物問屋「紅屋」を創業。
久蔵45歳で、家業の基礎が確立し、「一心定まる」の意味で「定右衛門」と名乗り、「家内之定」を定める。
京都店を開設する。大和郡山藩への第2回献金の功により、紋付麻上下の羽織を拝領。
久蔵、8月25日死去72歳。正之、分家して初代粂右衛門となる。この頃から営業方針を多利僅商から「薄利広商」へと転換する。
東京日本橋伊勢町に東京本店開設
川並学校建設費として、滋賀県に260円を寄付。以降、毎年学校や公共施設、道路改修等に寄付。
定次(二代目定右衛門)が隠居し、家督を定治(三代目定右衛門)に譲る。
定次、岡本黄石の紹介で勝海舟を訪問し、以降度々海舟の教えを受ける。
定款を制定し、有限責任塚本商社を設立。福沢諭吉の慶応義塾大学設立計画を知り1000円を寄付。以降、毎年寄付を続ける。
商法実施に伴い、塚本商社を無限責任塚本合名会社に改組。(資本金25万円)
「塚本家家法」を福沢諭吉に、「塚本家家憲」を杉浦重剛により制定。この年「名家の敗亡を著す。」
小樽に小樽塚本商店開設。
山梨県で大水害発生。塚本合名会社は、創業の地として、山梨県に200円を寄付。また、明治44年にも大洪水により大被害。塚本は治山治水の植林事業に1万円を山梨県に寄付。のち、この植林地は「塚本山」と命名される。
営業諸策上の重要事項を決定するため、滋賀奥帳場の川並塚本定右衛門家に事務所を設置。
東京店を新築し、甲府店を東京店に合併。
塚本さと、淡海女子実務学校を設立。滋賀県五個荘川並の本家霊堂にて杉浦重剛により「家訓」を発表。
東京日本橋伊勢町に(株)塚本商店開設(資本金100万円)。
塚本合名会社を吸収合併 (資本金300万円)。
東京本店新築完成。
商標「MUSE」(ミューズ)制定、登録。
マネキン人形の賃貸、販売業開始。
商号を「塚本商事株式会社」に変更。
株式を東京証券取引所市場第二部に上場。
東京本店新ビル完成。
小樽支店を閉鎖、札幌支店開設。
株式を東京証券取引所市場第一部に上場。
京都支店新ビル完成。
塚本ビルサービス株式会社を設立。
陳列用器具の賃貸及び販売業をミューズマネキン(株)に営業譲渡。
塚本倉庫株式会社設立。
ミューズマネキン(株)を「株式会社アディスミューズ」に商号変更。
滋賀県五個荘町川並の業祖発祥地に資料館「聚心庵」開庵。
商号を「ツカモト株式会社」に変更。
「華すがた会」を組織。
上海事務所を開設。
環境ISO14001認証取得。
会社分割制度による7事業会社を設立し、分社体制に移行。商号を「株式会社ツカモトコーポレーション」に変更、純粋持株会社とする。
市田株式会社を完全子会社としてグループに編入。
ツカモト本社ビル耐震・外観リニューアル工事竣工。
管財部門を統合して事業持株会社に変更、和装事業・洋装事業を再編。
冢本貿易(上海)有限公司設立。
ビル管理サービス部門を統合、非物販事業子会社を統合・再編。
創業200周年迎える。
200周年事業、新経営理念体系策定。
ホームファニシング事業「ラルフローレン」ブランドをアウトレットで販売開始。
執行役員制を導入。
(株)アディスミューズへ同社全株式を譲渡。
東京都目黒区の”目黒スクエアビル”不動産を取得する。
旧京都支店不動産を売却。
東京・札幌の和装事業を京都店に一元化。これに伴い札幌支店を3月末日で閉鎖する。
ツカモト市田株式会社を新設し、ツカモト(株)と市田(株)の和装事業を完全統合する。
株式の売買単位を100株に変更するため10株を1株に株式併合を行う。
非営利型一般社団法人ツカモト資料館・聚心庵設立
グループ再編、子会社を吸収合併(ツカモトアパレル(株)、ツカモトユーエス(株)、ツカモトエイム(株)、市田(株))