平成28年9月26日
株式会社ツカモトコーポレーション
総務部 
広報担当
ぶらりまちかど美術館・博物館が開催されました。
                     
            平成28年9月25日 ぶらりまちかど美術館・博物館が開催されました。

             毎年9月最終日曜日に東近江市五個荘で開かれています。
                            
         



このイベントは毎年東近江市が企画しており、「聚心庵」は普段は非公開ですが、年に一度公開されます。
曼珠沙華の咲くこの季節にたくさんの華客がこの館に集まります。聚心庵はぶらりまちかど美術館・博物館の番号1が割り振られています。



         



初代 定右衛門(久蔵) 二代目 定右衛門(定次) 三代目 定右衛門(定治)達が江戸時代から大正時代を中心に行った社会貢献活動について詳しく展示しています。


また、定次の妹さと(さと子)についても大きく取り上げました。 



                     
            


  



二代目 定右衛門の交流図について熱弁を振るう藤堂聚心庵館長


  

 


  

近江商人の代表的な絵とされる祖翁 紅売りの図 久蔵(初代 定右衛門) 24歳の頃とされる。

この時詠んだ歌とされるものが、

   ”かせがずに
      ふらふらしてはなりませぬ
         一文銭も頼む身なれば”

この歌は、茶店にて一服している時に思いついたとされています。

風鈴の音が聞こえてきます。風鈴の舌が動いています。ただぶら下がっていると鐘(金)はなりません。
動かないといけません。初代 定右衛門も休む心を止めて、足を動かして、紅を売ることに励んだという勤勉を旨とする近江商人の姿を説いています。初代 定右衛門は百姓や布洗い業で生計を立てている浅右衛門の三男として生まれ、遺言で自分の身を立てるように言われました。母方縁者の後押しもあり独立し、52歳の時には郡山藩より苗字帯刀が許されています。

郡山藩や彦根藩に多額のお金を上納し、また、仏光寺本山や福応寺の財政を助けました。


                                                                     
二代目 定右衛門(定次)
初代 定右衛門より家督を譲り受けた二代目定右衛門はますます事業の発展に励みました。
営業方針の大転換になる「薄利廣商」を唱え、晩年「家法」や「家憲」といった事業発展の為の経営理念の編纂に励みました。又、勝海舟や福沢諭吉との交流が生まれます。殊に勝海舟とは非常に懇意な間柄と見え、勝海舟語録とも云える「氷川清話」の中にも登場し、絶賛されています。南山壽と書かれたこの写真は、二代目 定右衛門70歳のお祝いに勝海舟から送られたものです。

社会貢献活動としては明治27年度から大正始めまで滋賀県の砂防事業費の半分に当たる部分を負担する等莫大な費用を投じています。教育活動にも熱心で学校の整備に度々寄付を行っております。             
※慶応大学や早稲田大学創立や地元の八幡商業(現八幡商業学校)や小学校等



 

三代目 定右衛門
二代目 定右衛門の息子であり、東京の営業を統括していました。二代目 定右衛門の弟の粂右衛門と共に事業を順調に発展させていきます。

初代が築いた創業の地甲府から東京が商いの中心となっていました。そんな時代に創業の地甲府が大水害に見舞われます。笛吹川が明治40年代に2回の大氾濫を起こします。そのような事態に治山治水を県政で行えるように御料林を御下賜されました。その報を伝え聞いた三代目 定右衛門は創業100周年を迎えるこの年に1万円の寄付を申出ます。この事は度重なる災害から山梨県民に大いなる力を与えた。この資金で広大な山林の植樹をし、そこを塚本山と名付け、時の熊谷喜一郎知事は許可を出し、礼状を贈り、山梨県議会はこの感謝の気持ちを忘れないことを議決します。現在でも平成27年四月に完成した山梨近代人物館の貢献した人物50人の一人として今も厚誼を受けています。



                                       

塚本さと(さと子)
二代目 定右衛門(定次)の妹にあたります。塚本家で、幼くして母をを亡くしたさとは、母の遺言で兄達の事業を後から応援をしました。使用人の世話は彼女達の役割でありました。塚本さとの生きた時代はそんな時代で家長はしばしば家を留守にします。その間のあらゆることに近江商人の女性達は対応せざるを得ません。情報収集や帳簿や使用人のこと様々なことが起こります。このような時代を生きた塚本さとは女子教育の必要性を感じ淡海女子実務学校を設立します。女子教育の先駆となるこの試みは下田歌子や嘉悦孝子の絶大な支援により実現します。
特に下田歌子は二代目校長として様々な施策を行い、淡海女子実務学校の継続に尽力されました。
この学校には香淳皇后が訪れ、手先の器用な塚本さとはニ双の屏風を作成し、一双は香淳皇后に献上し、予備に作ったものが現在も遺されています。













淡海女子実務学校の開校に当たって当代の著名人から祝辞が送られており、今も一巻の巻物になっており、大切に保管されております。
(皇室で倫理学を講義する杉浦重剛や北大総長の佐藤昌介や明治の高僧釈宗演の美しい書。)
 

 
来館者が興味をもった様々なもの

 



 


 


聚心庵の公開は年に一度9月の最終日曜日に行われます。来年は2017年9月24日です。
ご来場をお待ち申し上げます。

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